昭和41年12月16日 夜の御理解



 信心を頂いておりますと、神様がその人の信心の程度程度に応じて、様々に現れて下さるんですけども。例えば、お商売をさして貰っておる。お商売が閑散である。だあれもお客さんが無い。とお客さんがポツポツあります。そすと続けて、ずっとこの、如何にもそのお店ならお店が繁盛しておる様に、あのお客さんが差し向けて下さる。そういう様な意味の体験をなさることが有るだろうとこう思うです。やはり、その何て言うですかね、あのお店に、買い物に来たお客さんでもですね。
 何とはなしに、活気のあるお店で、次から次とこう売れておる、お店で買われた方が気分がいい。ですから神様は、そういう様な例えば、おかげを見せて下さる事があります。ですから、その例えば閑散な時。閑散な時を大事にしなければいけないと思う。閑散な時こそが、いよいよ自分を振り返らせて貰う時、いわゆる、反省させて貰う時であり、そこんところを、かえって楽しいような、例えば、私共、午前中奉仕させて貰う、それをいつも感じるです。
 ここに一人に御理解させて貰いよると、それを、ご御祈念しながら、そこにお参りをして居る人達が、皆、やっぱり頂いて居る。いわゆるそのお広前が賑わっておる。かと云うと、今度は、その一切りつくとこう、あの切れ間がある。そういう時には、自分ながら楽しい程に、自分と云うものを深かく見せて貰える。自分と云うものを反省させて貰える。又は神様とほんとにしみじみと交流する時期なのである。
 そこのところをですね、おかげを頂けないと云うか、ま親切、まあすこは、心だけでもと申しましょうか。そういう所を大事にしなきゃいけないのに、そういう時には、例えば、ほんならもうお参りが無いからと言うて、ちょっとあちらに下がっておったりする。たとえば、お客さんが無いからと言うて遊びに行ったり、そういう事ではですね、おかげになりませんです。ま暇じゃから遊びに行こう、暇じゃから何処何処に行こうという様な事ではいけません。
 もうその暇だからと云う時程、そこんところを大事にして、こん暇な時に、ちょっとお参りさせて頂こうと、ま一遍お参りしてこうと、と云う様にですね、自分をこう深く反省する時である。これは、ここのお広前の場合でも、それが同じ事が言えます。お参りが無いからと云うてあの、ま、あちら、裏の方へ下がったり、一服しておったんでは、おかげになりません。
 そこんところを大事にするおかげ頂かせて貰うて、何時もが賑うと言った様なおかげにもなって来るのですから。ここんところは、本当に大事なところです。誰もお参りが無いから裏に下がってよかろそうなもんだけれども、そこんところを辛抱する。辛抱するだけじゃない、その時をいよいよ自分を深く見つめさせて頂く時間にする。神様と深かい交流の交わされる、静かに神様と交流する時間を楽しみにするという様なおかげを頂くと、おかげを頂きますですね。
   どうぞ。